さめない熱
今の京で目立った浅葱羽織をまだ着ていると、維新志士に絡まれることも多々にある。
しかし慶一郎は今の、小次郎を喪った自分はそれを一人で切り抜けてこその新撰組、鷲塚慶一郎だと思っていた。
慶一郎が背中を任せられる相手は小次郎だけであり、小次郎もまたそうだったと。
――その時までは。
「新撰組だな」
その言葉と同時にぎらり、と白刃が光る。浪人風の着流しの男が二人。二人同時にかかってこられては、流石に慶一郎でも危うい。ちきり、と刀を握る手に力が入った。
「慶一郎殿、助太刀いたす!」
そんな声とともに走り寄る影に一瞬惑ってしまう。白と濃茶のだんだら羽織、その人影は。
「新撰組、真田小次郎、参る!」
慶一郎の背後を守るように小次郎――香織が立ち向かう。
驚いた。それでも一呼吸でそれを納めて、慶一郎は背後の香織に耳打ちする。
「小次郎殿、生かして捕らえれば上々、もしもの時は斬り殺す、でお願いしたい」
「わかった」
耳打ちされてすぐ香織の身体が沈む。
直後、低く素早く薙がれた一刀が背後の敵に当たった。
狙いは違わず、相手の刀を持った腕が冗談のように飛んだ。
「くそうっ!」
それを見た慶一郎と相対していた志士が、大上段に刀を振りかざす。
危なげなく躱し、慶一郎は空いた胴を払った。
ごぶり、と口から血を吹き出して、男は地に倒れた。動かないところを見ると、多分死んだか動けないほど傷は深いのだろう。
助かるまい、と慶一郎は香織の方を見やった。
「慶一郎殿、こちらはいつもの所に引き渡せばよいだろうか」
舌をかみ切って自害するのを防ぐ為に猿轡をかませてから、香織が自分に斬りかかってきた浪人を止血している。
死んでしまわれては元も子もないからだ。
「ええ。しかし、先刻は助かりました。私も二人相手ではなかなかに――」
そこで一つの違和感に気づいた。今の戦いは、何も憂えることなく戦えた。それこそ、小次郎に背後を任せて戦っているように。
小次郎が亡くなってから誰かに背中を任せて戦うということをしなくなった。いや、出来なくなっていた。
それが、香織には。
「――慶一郎殿、なにか」
表情に出てしまっていたのだろう、なんでもない、と告げて慶一郎は捕縛した志士を屯所に連れて行くべく、屯所に伝令を頼もうとした。
「もう済ませた」
そう香織がいう。丁度零番隊の者を何人か連れていたから、一番足の早い者に頼んだのだという。
「それは――助かりました」
慶一郎は素直に頭を下げた。こういうところで香織はしっかりしている。
香織は小次郎に似てきた。剣の呼吸、自分がどう動くか考えた瞬間に一番動いて欲しいように動いてくれる。
それが切ないような、不思議な感覚を慶一郎に抱かせた。
香織は先程まで刀を握っていた自分の手を見つめた。
この香織の別宅には贅沢なことではあるが内湯がある。
返り血を拭っただけではすっきりとしなかったので、香織は湯を浴びていた。折角慶一郎に湯を立てて貰ったが、疲労感に湯に浸かる気は失せてしまった。湯船から湯を汲んで、頭から被る。ふるっ、と首を振って水気を飛ばした。
慶一郎と一緒に戦うというのは、よくわからない高揚感があった。今の疲労感はその為だろう。
この人を死なせてはいけないと思うからかもしれなかったからでもあるが、いつもの倍は力を出せた。
背中を気にしなくていい。これは大事だ。お互い、欠けることを考えることのできない相手。お互いがお互いを守れるならそれでよかった。
着物をあらためて、香織は慶一郎の待つ部屋に戻った。
どうしてだろうか、慶一郎も心ここにあらずの様子だった。
定位置に――慶一郎の斜め前に座った香織は、何も言えずに洗い髪を拭いていた。
「――小次郎殿に似てきましたね」
「そうか?」
どきりとした。まさかそんな事を言われるとは。
香織はそれを誤魔化すように頭を下げた。
「折角湯を沸かしてくれたのに先に貰って申し訳ない。慶一郎殿も湯を使ってくれば良いと思うのだが」
その言葉に慶一郎はでは折角なのでと返す。
香織もそうだが、お互い何となく顔を合わせるよりも一人で思索の中にいたいと思うようだ。
着替えはいつもの場所だと告げられて、慶一郎は香織の別宅に置いてある私物が少し入った簞笥から着替えを適当に見繕って、風呂に下がった。
「――兄上に似てきた、か」
一人になった部屋で、香織は先程の慶一郎の言葉を口に出して呟いた。
立ち回りなのだろうか。
今日の立ち回り。兄と慶一郎もそうだったのだろう。お互いに背を預けていれば、それで安心だと思えたのだ。
地獄門の一件が終わってからそうしたい思うことが多くなった。香織も剣士として少しは成長出来ているのだろうか。
実際に立ち回りをしたのは今日が初めてだったが、疲労感を感じるほどの高揚感があったのだから。
洗った髪を手ぬぐいで撫でながら、香織はふと思った。
やはり自分たちの関係に兄の小次郎は欠かせない。ことある度に出てくる名だ。でもそれは、自分たち二人を強く繋いでいる関係だから仕方無いのだろう。
くしゃくしゃと髪の水気を拭いながら、香織はもっと強くなりたいと思った。今度はもっとお互いを憂いなく守れるようになりたいと。
湯からあがって慶一郎は身を整えていた。今日は泊まっていって良いのだろう、いつも慶一郎が泊まる部屋に床が延べてあった。
香織はもう寝てしまったのだろうか。
部屋の前を横切ったときにはもう行灯は消えていた。多分寝てしまったのだろう。そう思いつつ、慶一郎は布団に横になった。少し開けた障子から月が覗いていた。
香織は小次郎に似てきた。地獄門の一件から少し経つが、身のこなしや踏み込む間や、いろいろが。
それがよいこととははっきり言えない。
慶一郎は今でも香織が新撰組に籍を置くことを心の底では良くは思っていないからだ。
――ああ、でも、今日の戦いは高揚感があった。小次郎と戦っているような、そんな。
香織にはこれ以上刀を執って貰いたくないと思いつつも、もう一度あんな戦いが出来ればいい、そう思いながら慶一郎は目を閉じた。